2018年7月18日水曜日

06_幻想を操る人々

アルコール飲料、クッキーやコーラなどにたいして、異常なまでのこだわりをもっている人がいる。観念的な傾倒は、選挙の候補者に対しても、コカ・コーラに対しても生ずる。このようなこだわりが、意識的・批判的な価値判断から生じることはめったになく、多くはサブリミナルな条件づけから生ずるのである。⇨ ウィルソン・ブライアン・キイ

ある立場を断固として肯定することは、そこに語られている固定的な立場の下に、他の様々な選択肢を隠している。たとえば、信仰や回心の公的な表明、罪や悪行の改悛の告白。こうしたことは、神とも宗教とも、日常的行動とも、あるいは愛他的行動とも、まったく無関係である。

信仰を声高に叫ぶことは、自分は美徳の持ち主であり、また光が見えない他の人々よりも高い位置にいるのだ、という姿勢をとってみせることに他ならない。同様に、熱狂的な反共主義の立場を公に表明したからといって、それが共産主義と闘っているという証明にはならない。これらは、一部の受け手には愛国心、美徳、正直、善良さと受け取ってもらえるようなことを誇示しているに過ぎない。

共産主義の脅威が突然なくなったとしたら、アメリカの政治家の大部分は職を失う羽目になり、あわてて新しい脅威をでっちあげなければならないだろう。このように、実際の世界においては、ある姿勢を表明するだけでは何も変革することは出来ない。しかし、道徳家ぶった物言いは、しばしば権力と富を追求するための計略に用いられ、成功している。

サブリミナルな埋め込みを用いれば、有名人、モデル、自動車、食料品をはじめ、商品となりうるもの全てを、より魅力的・刺激的で、より好ましい、味わい豊かで人の気を引くものに仕立てることができる。現代のメディアはつねに、受け手を意識的なレベルで事実に直面させないようにしている

粉飾を施されていない生の事実よりも、幻想の方がはるかに人を熱中させる。人は事実をしばしば退屈なものと受け取り、できるだけ避けて通ろうとする。うわべだけの、手応えのない、ありきたりの広告が意識的に作られている

特定の意味を持つ、事実に基づく情報は販売促進の妨げになる。競争相手の多い商品を売るためには、穏やかであること、あるいは一見そう見えることが一番なのだ。⇨ウィルソン・ブライアン・キイ「メディア・レイプ」リブロ社より

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