2018年7月14日土曜日

03_善意と感動の押し売り

スポーツ庁の通知以降の2016年も、地域にもよるが、八段九段といった人間ピラミッドが堂々と行われ、ツイッターやフェイスブックなどに画像がアップされた。しかも「感動しました!」「すごい迫力!」といった感想付きで。そこには自粛しようとか、安全に十分に配慮しようといった意識は感じられない。⇨ それでも繰り返される「組体操事故」の実態/東洋経済オンラインより

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

その対人関係の才能を考えれば、通常のタイプ2が、どんどん自分に依存するようになる人々の集団を自分自身の周りに集めることは珍しいことではない。通常のタイプ2は、他人が自分を人生の中で重要な人物と見なしてくれるように、自分を中心に家族の延長もしくは共同体をつくりたがる。彼らは人びとを包み込み、他人が彼らを家族の一員であり、また、その輪の中に入れてもらうことで恩があるかのような気持ちにさせる。

通常のタイプ2は、個人の心理的理由から母親の愛を求めている人々に対して最も力を持つ。通常のタイプ2は、あらゆる人を愛と注目に飢えた貧しい子供のように見なし、相手が求めているか否かに関わらず、そうした愛と注目を他人に押し付け始める。他人に付きまとい、干渉し、求められもしない助言を与え、境遇に立ち入り、出しゃばる。友人に対しても愛情深い親の役割を演じ、縁結びから職探し、住居の飾りつけについての忠告に至るまで、あらゆる人の問題を解決することを自分の仕事にする。つまり、彼らは「必要とされることを必要としている」。

通常のタイプ2は、他人の生活に非常に素早く自分を入り込ませる。不幸なことに、タイプ2の愛(実際はタイプ2が愛されていると感じる必要)の重荷を、人々は厄介に感じ始める。当然のように、その押しつけがましさは、愛していると思っている当の相手の負担になる。しかも、その愛は、あまりにも自己犠牲を装うので、タイプ2の助力の性質について不平を言いにくい。

彼らには、他人は彼らの払った努力を至極当然のように受け取っているように見える。誰も彼らを評価せず、彼らの必要を考えたり、彼らがしてやったように自分を犠牲にしようともしないように思える。タイプ2は、他人は恩知らずで思慮がなく、彼らがどんなにいい人間であるかを思い出させてやる必要があると感じる。

強い自惚れこそが、通常のタイプ2の大罪である。自分自身に大満足し、あらゆる機会をとらえて、どれほど強く人々が自分を愛しており、自分がどれほど多くの友人を持ち、自分がどういった善いことをしてきたかということを気付かせようとする。

彼らは、それが著名人であればなおのこと、すべての知り合いの名を口に出す。タイプ2が友人としてどれほど重要な存在であるかを他人に印象づけ、多くの人がすでにそうしているのであるから、すべての人が彼らを評価した方がよいというメッセージを広める。

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