2018年7月13日金曜日

02_地上波テレビ文化:思考の抑圧

ややこしい問題のほとんどを避けようとするテレビは、求められる知識の水準を引き下げるものでしかない。➡ウォルター・クロンカイト

ゴールデン・アワ-を通して容赦なく流れるBGMは、パッケージ詰めのよき人生のハミングである。➡ トッド・ギドリン

■「心の習慣アメリカ個人主義のゆくえ(みすず書房)より

テレビの世界は、ひたすら楽天的で清潔で唯物論的である。そればかりかゴールデン・アワーのたいていの番組は、わずかの例外を除いて、個人的野心で頭がいっぱいの者たちが登場する。

彼らは、中産階級の消費財の一団に囲まれているのでなければ、自分自身が魅惑的な欲望の塊である。彼らが恋い焦がれる幸福は私的なものであり、公共的なものではない。

彼らは社会全体に対してほとんど要求するところがなく、たとえ問題が生じたとしても既存の制度的秩序に満足しているふうである

たいていのシリーズ番組に見られる明るく照らし出された贅沢なセッティングは、帰するところ消費主義版のよき人生の広告である。たえずさし挟まれるコマーシャルを無視したとしてもそうなのだ。

ホームコメディでは、個人的利益を追求して不誠実や裏切りへ走ろうとするが、結局は物質的欲求よりも家族や友人を優先する人物を好んで描く。結局、メロドラマであれ、ホームコメディであれ、裏にある対称関係は同じである。

メロドラマは、横暴な金持ちもしばしば内実は不幸であり、ホームコメディはまっとうな一般庶民はしばしば幸福であると教える。しかし両者ともに、経済的競争に支配され、温かい個人的人間関係の小さな輪をその唯一の待避所とする世界を描いている

■C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

この人の感情は客観的状況や普遍妥当な価値と一致している。このことを何よりもはっきりと示しているのは、いわゆる「恋人選び」である。この人が女性である場合、選ばれるのは「ふさわしい」男性であり、身分・年齢・資産・身長・立派な家族に関する合理的要求にすべて彼が合っているからである。このような結婚は無数にあるし、決して最悪なものでもない。こうした女性の夫や子供が、普通の心理構造の持ち主である限り、よき伴侶であり、よき母である。正しく感ずることができるのは、その感情を妨げるものが何もないときである

しかし、感情を妨げるものといえば、思考に勝るものはない。それゆえこのタイプにおいて思考ができる限り抑圧されていることは容易に理解される。「私は感情の湧いてこないもののことは、どうしても考えられないのです」。とかつて患者が私に怒ったような口調で告げたことがある。彼女は感情の許す範囲でなら、非常によく考える。

しかしいかに論理的な結論であっても、感情を妨げるような結果になりそうなものはすべて、あっさりと拒絶してしまう。そういうものについては、ただ考えが働かないのである

外向的感情型の思考は、それが自立した機能である限り抑圧される。この場合、あらゆる思考が抑圧されるのではなく、思考のもつ厳格な論理が感情にそぐわない結論を押しつけてくるときだけ抑圧され、感情の召使い、あるいは奴隷であるときは許される。(タイプ2「外向的感情型」の説明)

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