2018年6月5日火曜日

06_極端に受動的な生活



活動という概念は、産業社会に暮らす現代人に広くゆきわたっている<幻想>であり、私たちの文化の全てが、せかせかせわしなくただ動き回っているという、仕事に伴う忙しさの表現である。

私たちはシステムの歯車であり、社会があまりにも<活動的>なので、たいていの人は何もしないことに苦痛を感じる始末だ。あらゆるレジャーでさえ、別の人間の仕事になっている。私たちは仕事をしていないときでさえ、ドライブをしたり、ゴルフをしたり、くだらぬおしゃべりをしたりして<活動的>に過ごす。

私たちが本当に恐れているのは、何もすることがない時間である

厄介なことに、私たちは非常に忙しいにもかかわらず、極端に受動的であるという事実に気が付いていない。私たちは常に外部からの刺激を必要としている。それは、お喋りだったり、映画だったり、旅行だったり、わくわくするような消費の興奮だったりする。

私たちには、背中を押し、スイッチを入れ、そそのかし、誘惑してくれるような刺激が必要なのだ。私たちはいつでも走り回り、決して立ち止まらない

私たちは常にやらされるばかりで、決して自分からしようとしない

現代人は、自分を大いに活動的だと思っているが、本当は自己を直視した時に生じる不安から逃れるために、何かしていなければならないという強迫観念に駆り立てられているのである
⇨ エーリッヒ・フロム「希望の革命」紀伊國屋書店より

だが、やっとひまができたときには、もう欲望は消えていたり、さもなければ、おもしろくもない仕事で疲れていたりする。こうしてパパラギはいつでも、明日しようと思う。時間があるのは今日だのに

ひまなんて、とてもあったためしがないと言い張るパパラギたちがいる。この連中は、まるでアイツウ(悪霊)に憑りつかれた人のように、首のないまま走り回り、行く先々どこにでも、災いと大混乱を起こす。憑りつかれたこの状態は恐ろしい。呪い師にもなおすことができず、たくさんの人びとに伝染し、人びとを悲惨に落としてしまう恐ろしい病気。⇨ 岡崎照男訳「パパラギ」立風書房より

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