2018年6月28日木曜日

04_限界を認める能力

人それぞれ嫌いな言葉がある。
ダン中尉は「障害者」という言葉。ぼくは「馬鹿」という言葉だ。

ぼくらみんなに運命があるのか、
それとも風に乗って、たださまよってっているのか。
たぶん両方だろう、両方が同時に起こってるんだ。



トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」より

ぼくは、偉大であり、デーモニッシュでもある美という小道であえて冒険を試みながら<人類>を軽蔑している人に敬意を表します。

しかし、彼らを羨ましいとは思いません。というのも、もし何かに文学的な人間を詩人にする力があるとすれば、その何かは、

人間らしいものに対する、生きている平凡なものに対する、ぼくの故郷が育んでくれた愛にほかならないからです。あらゆる温かさは、そしてあらゆる親切心も、あらゆるユーモアも、この愛から出てくるのです。実際ぼくにとってこの愛は、

『たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私たちには騒がしいドラ、やかましいシンバル』と記されている、その愛そのものなのです。

ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ「神話の力」より

トーマス・マンは、「作家は真理に対して忠実でなければならない」と言っています。だが、それは一種の殺し屋になることを意味します。なぜなら、ある人を忠実に描く唯一の方法は、その人の欠点を並べ立てることだからです。

完璧な人間なんて面白くありません。俗世間から離れてしまったブッダみたいなものです。生身の生活のいろいろな欠点こそ愛すべきものです。ですから、作家が真実の言葉という矢を放つとき、人は傷つきます。でもその矢は愛情を持って放たれるのです

「それにしても、欠点があるからこそ人間を愛せるとおっしゃるのはなぜでしょう」。

子どもたちが可愛いのは、しょっちゅう転ぶから、それに小さな体に似合わない大きな頭を持ってるからではありませんか?それに、人々が飼っているおかしな小型犬、あれだって、とても不完全だからこそ可愛いんでしょう

「完璧な人間なんて、もしいても、退屈な人間だろうと」?

そうなるほかないでしょう。人間らしくありませんから。人間のヘソのような中心的要素、つまり、

人間性があってこそ、人間は、超自然的ではなく、不死不滅でもない人間らしい存在になれるのです。それが愛すべき点です。だから、

一部の人たちはどうしても神を愛せない。神は完全無欠だからです。畏怖を感じることはあっても、それをほんとうの愛とは呼べないでしょう。十字架にかけられたキリストですよ、愛の対象になるのは。「というと」?

苦難です。苦難は不完全さではないでしょうか。

「人間が苦しみ、戦い、生きてゆく物語・・・・・」。

・・・・・そして、若者がさまざまな経験をかいくぐって、ようやく自己についての知識に到達する物語

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