2018年6月16日土曜日

04_集団ナルチシズム

エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

集団ナルチシズムは、個人のナルチシズムより発見が難しい。仮にある人が、

私と私の家族は、世の中で一番素晴らしい人間です。私たちだけが清潔で聡明で優秀で、そのうえ上品です。他の人はみな不潔で馬鹿で不正直で責任感がありません」。

と言えば、たいていの人はその人を無神経で、バランスの崩れた人だとか、あるいは狂人だとさえ思うだろう。にもかかわらず、

狂信的な演説家が「私」と「私の家族」を『国家』『民族』『宗教』『政党』に代えて大衆にその優越性を語れば、その人は愛国心や神への崇拝などの理由によって、賞賛され尊敬される。

かわいいフリーイラスト素材:いらすとや より

しかし他民族や他宗教は、自分たちが軽蔑されているという明白な理由から、この種の演説には激怒するのが普通である。しかし、

友好集団のなかでは、各個人のナルチシズムが集団ナルチシズムによって正当化され、多くの人々がそれに同意しているという事実から、その演説が一見正当のように思えるのである。多くの人が「正当である」と考えることは、

理性的な判断を経ることなく、世間一般の人たちの考えだから「正義」だと、彼らは考えたがる。統一体としての集団が、存在を保持してゆくために集団ナルチシズムを必要とするかぎり、ますますそれはナルチシズム的傾向を助長し、自分たちは特に優れているという「格付け」を彼らに与えるのである。

集団の成り立ちが未開種族や未開血族、あるいは現代においても精神的に貧困な場合、当初は数百人の成員を含むに過ぎないため、個人はまだ個性と独立性をもたず、原始的な結合(近親相姦的結合)によってグループに結び付いている。

このようにして、集団ナルチシズムは、その成員が情緒的にいまだその所属する「血族外」では存在しないという事実によって強化されるのである
➡ エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

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