2018年4月20日金曜日

05_永遠性の仮面


エーリッヒ・フロム「愛について」紀伊國屋書店より
真に宗教的な人は、何かを願って祈ったりしないし、神に対して一切何も求めない。子供が父や母を愛するように神を愛したりしない。

そういう人は、自分の限界を知る洞察力を身につけており、自分が神について何も知らないことを知っている

そのような人にとって、神は人間が熱望するものすべて、すなわち精神世界、愛、真実、正義といったものを表現していた象徴となる。

そういう人は「神が表象するさまざまな原理」を信仰する。(神の現れと感じられる現象のすべてを愛する)。

すなわち真理について思索し、身をもって愛と正義を生きる。彼はこう考える。

人生は、自分の人間として能力をより大きく開花できるような機会を与えてくれるという意味においてのみ価値があり、能力の開花こそが真に唯一の現実であり、「究極的関心」の唯一の対象なのだ

彼は神について何も語らないし、その名を口にすることもない。したがって、

神を愛するということは、最大限の愛する能力を獲得したいと願うことであり、「神」が象徴しているものを実現したいと望むことなのである
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クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」平河出版社より
人生では利己心こそが恐怖の原因となっています。この私という感覚や私の関心、私の幸せ、私の成功、私の失敗、私の業績、私はこうである、私は違う等々。

このような、恐怖や苦悩、憂鬱、苦痛、不安、熱望、悲しみを伴うすべての自己中心的な観察は、

神の名を口にしようが祈りや信仰の名目によろうが、みな利己心なのです。それは利己心にほかなりません。そして利己心がある限り恐怖や、恐怖のあらゆる結果が生ずるに違いないのです

そこで再び尋ねます。利己心が猛威をふるうような、こんな世界で生きてゆくことは、果たして可能なのか、と。

全体主義であれ資本主義であれ、この世界では利己心が際立っています。ヒエラルキーに基づいた宗教社会でも、利己心が大手を振っています。彼らは恐怖を永続させます。彼らは地球の平和を口にしても、本気でそう言っているわけではないのです

何故なら、力や地位や達成などへの欲望を抱えた利己心は、実に世界ばかりか、私たち自身の脳の素晴らしい力までも破壊してしまう要因となっているのですから。

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