2018年4月2日月曜日

04_自由の消極的破壊者

ユング「タイプ論」みすず書房より
このタイプが高じると意識を主観的知覚・太古的な現実(神話的世界)に委ねるようになるが、彼は相対的に合理的判断が欠けているため、この事実を理解できない。つまり合理的判断が欠けているという自覚がない。

このことに気づき始めるのは、自分の感覚が現実とまったく異なっていることを発見した時である。彼が相対的に客観的理性に傾いている場合にはこのズレを病的と感じるが、自らの非合理性に忠実であり、主観的感覚に現実的価値を見出す場合には、客観的な世界は仮想であり喜劇である

ただしこのようなジレンマに陥るのは、どちらかに極端に傾いた場合だけである。通常このタイプの人は、自らの自閉状態と現実の平凡さに満足しており、後者に対しては無意識的太古的に対処しているのである。彼の無意識の特徴は<直観が抑圧されている>ことであり、この直観は最終的に外向的太古的な性格を持つようになる。外向的直観が特徴的な勘の良さ、<客観的現実のあらゆる可能性に対する良い鼻>を備えているのに対して、

このタイプの無意識的・太古的直観は現実の背後に隠れる<あらゆるいかがわしい・暗い・汚たならしい・危険なものを嗅ぎ取る>能力をもっている。このような直観にとって客体の現実的で意識的な意図など、おそらく何の意味もなく、これはそうした意図の背後にあるプリミティブ(意識の前段階)な可能性を嗅ぎだすのである

この能力は極めて危険な破壊性をもっており、このことはしばしば意識がお人好しで無害であることと際立った対照をなしている。その人が客体からそれほど離れていない限りは、この無意識的直観も、やや幻想的で信じ込みやすい傾向に対する、有効な補償として作用する。ところが無意識が意識(理性)と対立するようになると、こうした否定的直観が自我の中心を占め、破壊的な作用を発揮する。

なぜなら否定的直観(劣等機能としての外向的直観)が、客体に関するきわめて忌まわしいイメージを触発するからである。ここから生じる神経症は原則として強迫神経症であり、ここではヒステリー的傾向は消耗症候群の背後に後退している。

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より
不健全で分裂したタイプ9が、不健全なタイプ6に動くと、不安が最後にはその厚い抑圧に穴をあける。彼らがこれまで避けてきた感情や、理解していたと思っていた現実が、彼らの上に崩れ落ちてくる。 かつてあれほど気楽であった人が、反応過剰なヒステリーの不安に駆り立てられ、怖がり、動揺し、心配し、涙を流し、恐怖にうろたえた人になる。

堕落したタイプ9は、自分の世話をしてくれる人、陥った危機的状況から救い出してくれる人を、かつてないほど必要とする。人から援助を引き出すために、彼らは卑屈なまでにへりくだり、保護しなければならないほどに、自虐的になる

自虐的になる背景には、人を裏切り傷つけたことに対する罪悪感を補償するための自己処罰、そして、人びとを自分に引き戻し、関係を修復するための自己卑下が隠されている。しかし、この心理的作戦は成功しない。なぜなら、堕落したタイプ9は、無意識の世界のパンドラの箱から、不安と共に<攻撃>を放ってしまったからである。

攻撃的な感情はもはや抑圧することは不可能になり、自己を攻撃しては自己嫌悪に陥り、他人に対しては、やたら敵対的になる。特に不安を増大させるようなことを言う人に対しては、誰であろうと厳しく非難する。もし誰かが奇跡のように安らぎをもたらしてくれるとすれば、その誰か以外は、すべて「敵」になる

堕落したタイプ9は、不安や攻撃を処理するための、強い人格を失ってしまったので、自分にとって大事であった人々から拒絶されているという激しい不安を、もはや抑圧することもできない。安らぎを見出すことができなければ、彼らはそのヒステリー症状を制御するために、アルコールや麻薬に走り、自殺という手段に訴えることもある。

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