2018年4月16日月曜日

03_神への愛と神の私への愛

神への愛の特徴は、その宗教の父権的要素と母権的要素のそれぞれの比重によって決まる。父権的な側面によって、「私は神を父親のように愛する」と考える人は、
➡ 「神は正しく、厳格で、罰や褒美を与える者であり、最後には私をお気に入りの息子として選ぶだろう、と。神がアブラハム・イスラエルを選び、イサクがヤコブを選び、神がお気に入りの国を選んだように」とイメージしている。

宗教の母権的な側面によって、「私は神を、ひたすら抱擁する母親のように愛する」と考える人は、
➡ 「私は神の愛を信じる。たとえ私が貧乏だろうと、無力だろうと、罪人だろうと、神=母親は私を愛し、他の子供たちより私を<えこひいき>することはないだろう。私の身に何が起ころうと、私を救ってくれ、許してくれるだろう」とイメージしている。

いうまでもなく、私の神への愛と神の私への愛とは、切り離すことができない。
➡ もし神が父親なら、神は私を息子のように愛し、私は神を父親のように愛する。
➡ もし神が母親なら、私の神への愛も、神の私への愛も、母親と子供の間の愛のようになる。母親と考えるか父親と考えるかは、この愛の性質を決定する要素の一つにすぎない。

もう一つの要素は、その人個人の神の概念が、どれだけ成熟しているかということである。神への愛の成熟過程は、おもに父権的な宗教の発達のなかに跡付けることができる。この発達の最初には、横暴で嫉妬深い神がいた。

この神は自分の作った人間を所有物と見なしている。この段階の宗教では、人間が知恵の実を食べて完全にならないようにと、楽園から人間を追放し、お気に入りの息子(ノアの箱舟のノア)以外は「全員気に入らない」という理由で亡ぼそうとしたり、服従の証を求めて、アブラハムに最愛の息子イサクを殺すように命じたりする。

しかし、同時に次の段階で神は、ノアと契約を結び、二度と人類を滅亡させないと約束し、この契約により、正義という自分の主義にも縛られ、好き勝手が出来なくなる。そのため、少なくとも正しい人が10人いたらソドムを救うべきという、アブラハムの要求にも従わざるをえなくなる。こうして神は、

⇨ 横暴な部族長から、愛する父親、そして自分の決めた規則を自らにも課す父親へと進化した。


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