2018年4月13日金曜日

01_自然崇拝から偶像崇拝へ

「もう一度いいですか?その粒子は顕微鏡で見られないほど小さい。測定できるのは、確率だけ?空間のどこに存在していて、速度はどれくらいです?」
いい質問だな
「ギャンブルみたいなものですか?数学的な当てずっぽう?」
だが私は、神は宇宙を相手にサイコロは振らないと思っている
「ずっとユダヤ人としての話をしていて、神のことを初めて言いましたね」。
神という言葉にもいろいろな意味があるだろう
「でも信じているんですね」。
私が信じているのは、この宇宙がとてつもなく素晴らしいってことだ。こんなものをつくれるのは神しかいない・・・・・。私の仕事はどのようにつくったか、解き明かすこと
⇒「世紀の天才・アインシュタイン」ナショナルジオグラフィック・チャンネルより


神への愛の発達
神への愛は、他の様々な形の愛と同じく、合一経験によって孤独を克服したいという欲求から生ずる。 多神教、一神教に関わらず、神は最高の価値、最高の善の象徴である。そのため、神をどのように捉えるかは、人が何を最高善と考えるかによって異なる

人間は、自然・母親・血縁・土地からの独立によって発達してきた。人類の始まりには、まだそうした絆にしがみついていたので、その絆にすがることにより、安全を確保しようとした。動物はトーテムとなり、儀式や戦争のときには仮面を被り、動物を神として崇拝していた。

次に、人間の技術が職人仕事や芸術の域に達すると、狩猟採集といった不安定な自然の恵みのみに頼らなくてもすむようになり、人間は自分で作りだした偶像を神に変えた。人間は自分の力や技能を、自分の作ったものに投影し、*疎外された形で、自分の能力や財産を崇拝する。⇨ エーリッヒ・フロム「愛について」紀伊國屋書店より

*疎外➡ 哲学用語としての疎外とは、人間が作ったもの(商品・貨幣・制度など)が人間自身を離れ、逆に人間を支配するような力としてはたらき、人間のあるべき姿を失う状態を指す。<Wikipedia>

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