2018年3月26日月曜日

03_羞恥心と完全主義

もしあなたが自分の罪のことだけしか考えないのなら、あなたは罪人である。➡ ラーマクリシュナ

自分自身にのみ注目し、自分を物事の中心に置き、自分との関連からしか物事を認識しない時、人は他者に対してまったく敬意を払わなくなる。自己中心性を捨てない限り、他者を尊敬することは出来ない。他者と自分は同じではないこと、自分と他者との境界を認識しない限り、自己中心性を捨てることは不可能だが、これが出来るようになれば、自分自身にも他者にも敬意を払えるようになる。逆に、自己中心的なままでいるということは、他者を軽蔑し続けることを意味する。

自己中心性と自己否定

自己を顧みず、内からの情報を受け入れなくなる時、人は自己中心的になり、自分に対し、過剰に意識を振り向けるようになる。本当の自分を受け入れない限り、自己中心性を捨てることは出来ない。自分が宇宙の中心にいて、世界は自分を中心に回っているという意識を変えない限り、自己を無視することを止めることは出来ない

自己犠牲とか奉仕の理由で、自己を否定する人々は、「無我」であろうと努め、他者の事のみ考えようとする一方で、誰から見ても自己中心的な振る舞いを示す場合がある。例えば、このような人々は、他者が従う社会のルールには従う必要がないと考えたりする。自分を犠牲にして、他者に奉仕しているのだから除外されて当然だというのだ。

自己中心性と羞恥心

罪悪感はそれ自体がきわめて自己中心的な行動である。罪悪感を強調する人は「なんて私は罪深いのだろう」と「私が」「私は」を繰り返すわりには、他人の罪悪感には無頓着である。自分を中心に世界が回っているという考えを捨てない限り、すべての罪悪感を感じてしまうことから逃れることは出来ない。そして生活のあらゆる事柄に対し罪悪感を抱くのをやめない限り、自分が世界の中心であるという幻想を捨てることは出来ない。

罪悪感と同じく羞恥心も、自己中心的な心の動きである

人が羞恥心を感じるのは、他者や出来事の多くが自分に従属しているか、関わっていて、自分が何らかの手を下すことができると信じるからである。二つはお互いを支え合っているので、羞恥心を抱かないようにするためには、自己中心性を捨てる必要がある。羞恥心はまた、完全主義ともリンカーン・ロッグを形成している。

完全主義が幻想だと分かっている人は、ありのままの自分を受け入れることができるので羞恥心を覚えることはない。しかし、完全主義に囚われている人は、完全でない自分を恥じ、自分の不完全さを受け入れることができないのである。不完全さを認めず、人間が神になろうとすれば、不完全さから何も学ぶことができず、不完全な自分を恥じてばかりいるようになるだろう。

超人願望は、自己中心性の核となるもので、ありのままの自分に羞恥心を持つことがなければ、完全になろうともがくことから解放される。羞恥心と完全主義はコインの裏表である

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