2018年1月6日土曜日

30、不健全なタイプ6

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

劣等性を補うための攻撃
通常のタイプ6 は、自分が不安でも優柔不断でも、人にも依存していないと証明するため、自分の受動攻撃性を抑圧し、積極的な攻撃行動に出ることがある。この段階で、タイプ6は、不安を誘発させるものを攻撃することにより、ますます募る不安を支配しようとする。彼らは自惚れ、自分を「タフガイ」だと威張り散らし、反抗的で好戦的になり、他人がどれほど困らせ妨害しても、自分は邪険にできない相手だと知らせようとする。

過補償された攻撃は、真の強さではなく、周囲を失望させ、傷つけることにより、自分が優越していることを示そうとする手段である。この段階でのタイプ6は強いのではなく、単に卑劣で暴力的なので、影響を受ける人間を生きにくくさせる。彼らは権威、こちこちの軍人、卑劣な暴君のカリカチュアであり、大言壮語とこけおどしに満ちている。彼らは危険だが弱い存在であるという理由で、一層危険なのである

通常のタイプ6 は、集団と一体感を持つことで安心を得ようとするが、この段階になると、党派心が強く権力盲従的で、人びとを「自分のための人」と「自分に逆らう人」に厳密に分類する。あらゆる人が、我々体彼ら、部外者対部内者、友人対敵というむき出しの二分法に従わされる。

健全なタイプ6に見られる忠実は、粗野で好戦的な党派性に堕落してしまう。「良かれ悪しかれ、私の国だ(私の権威、私の指導者、私の信念だ)!」これが彼らのモットーになる。 彼らの集団が問題視される場合には、その権威と信条体系だけでなく、自分の生き方に対する攻撃と見なされる。彼らの不安は心の問題である一方で、この段階においては他人への憎しみが不安の表明として顕在化する

権力に盲従するタイプ6は 、自集団の防衛の中で、強く傷つき、包囲された者の心理で部外者全てに反抗する。彼らはその全ての部外者を潜在的な敵として疑いの目で見る。彼らは自警団のように、ときにはきわめて凶暴に部外者と戦う。しかし、皮肉にも、過補償の力学のためにタイプ6は、本来の規準からしばしば外れる。民主主義を信じていたはずのタイプ6が、狂信的偏見の塊となり、同胞の市民の公民権を否定したり、信仰に厚いはずの人間が背教者となり、法と秩序の番人が法律に背く。

統率者であるタイプ6は、この段階で特に危険となる。自分の属する「伝統的価値」を守るためには、どんなことでもするという攻撃性と欣然さのため、彼らは不安を持つ人々から指導者として求められるからである。彼らはたいてい、大衆の力を自分の背後に得られるように、人びとの中に不安を掻き立てる扇動家である。ここでは、勇気ではなく不安と憎悪が原動力となる。

偏狭なタイプ6がもつ醜い面の一つは 、対象となる人や集団を必要とすることである。自分の感情面の必要を満足させるために、排除したい自分の弱さを投影できる集団を、何としても探し出し一方的に攻撃するのである。皮肉なことに、彼らが典型的に憎む人々ー黒人、ユダヤ人、性的マイノリティ、外国人などのあらゆる「部外者」は、タイプ6が自分の中で恐れている弱さと不安を、象徴的に表しているのである。

これほどまでに、偏見にみち、権力に盲従するようになると、かつては愛らしく人に慕われる人であったなどと、彼らの過去を知らない人に納得させることは不可能になる。さらに、彼らの好戦性の強さは、移りゆく精神状態の基礎に置かれているため、永続的ではないが、攻撃は深刻な害悪を人々に与えるには充分な程度、長期間に及ぶのである



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