2017年12月7日木曜日

15、外向的思考型の影

アンソニー・スティーヴンス「ユング」講談社選書メチエより
一般に私たちは「合理的機能:思考・感情」の内ひとつと「非合理的機能:感覚・直観」の内ひとつを発達させる。外向的思考・感覚型の場合、主機能は思考で感覚が補助機能になる。他の二つは無意識の中に留まり、あまりに主機能の構えが強まると、思考型が抑圧している感情が否定的な影と結びつき、影と結びついた感情は劣等機能となる。➡ アンソニー・スティーヴンス

外向型はつねに、自らを客体に委ね、主体を客体に同化させようとする。その結果「外向的な構え」が度を超すと、主観的要因が有害な抑圧を受けることになる。意識の外交的構えに対する無意識の補償は、逆に主観的要素を特別に強調することになる。すなわち外向型の無意識の中には極端な自己中心性が指摘されるはずである

客体や客観的事実に意識のエネルギーを傾注すると、自らの意見・希望・欲求などの主体的な心の動きの多くが無理やり抑圧され、本来これらにも注がれるはずのエネルギーが奪われる。そのため客体に完全に同化すれば、抑圧された少数者の抗議を受ける。客観的事実だけに同化すると、主観的な心を意識化することが妨げられ、それは抑圧の度合いに比例して退行的な性格を帯びることになる。主観的な心に注がれるべきエネルギーの多くは、客観的事実に同化するために使われ、どうしても取り上げられないエネルギーだけが残される。この残存エネルギーはそれでもなお侮りがたい威力をもっており、これは「根源的本能」と名づけるしかないものである。

いかなる抑圧された傾向にも、たとえエネルギーを奪われたために無意識化しているとはいえ、本能の強さに見合った相当量のエネルギーが残されており、外向的な構えが徹底すればするほど、時には幼児性をはるかに超えた、無軌道ともいえる自己中心性を特徴とする。

たとえばある印刷工が、長年の努力の結果、独立して起業し大会社の社長として成功した。会社はどんどん拡張し、他の関心のすべてを無視して仕事に没入した。その結果、彼は仕事に吞み込まれ、次のような形で破たんした。すなわち、関心が仕事だけに向いているのを補償するために、子ども時代のある記憶<絵画や図案を描くことが大好きだったこと>が無意識のうちに活動を始めたのである。彼はこの能力をバランスをとるための趣味として素直に受け入れる代わりに、自分の仕事に導入して自社製品を芸術的に仕上げようと空想し始めた。不幸なことに彼は自分自身の原始的幼児的趣味に合わせた製品を量産し、数年後その会社は倒産した。

彼は私たちの文化的理想の一つ「能力ある男は一つの目標にすべてを賭ける」。という理想に従って行動したが、理想に自分を同化しすぎたため、主観的・幼児的欲求の手中に陥ってしまったのである

破局的クライマックスは、主観的な形、すなわち神経衰弱による虚脱状態をとる場合もある。この場合、意識は無意識からの絶対的な要求により混乱状態に陥る。この混乱は、<自分が本当にしたいことがわからなくなり、何もする気がなくなってしまう>、あるいは<一度に何もかもやりたくなり、できないことにまで手を伸ばそうとする>といった形で現れる。優越機能がつねに意識的な人格を表しその意図・その行為・を反映するのに対し、未分化な機能はその人にとって<降ってわいた>ように現れる。外向的な構えにおける未分化な機能は、つねに際立った自己中心主義と個人的な偏見によって極度に主観的に囚われた状態にあり、無意識と密接に関連していることが分かる。
➡ C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

「主観にも客観にも、外向にも内向にも、さらには善にも悪にも、完全に同一化していない立場をとれるということは、重要なことのように思われる。人間は肉体も精神ももっているし、理性も感情ももっているし、聖者でも罪人でもあるのだ。疲労が睡眠を強い、血糖の低下が栄養欲求を引き起こすのとちょうど同じように、ユングの見解によると心的機能の全エネルギーは、これら対立物の間の緊張から生じているのである。生理的活動はアンバランスから生じるものではあるが、釣り合った中庸へと向かっており、その中庸は、常に求められ、達せられるや否やそこから離れてしまい、定めがたい。それでもそれは背後(無意識)において遍在しているのである」。➡ アンソニー・ストー著「ユング」岩波書店より

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