2017年12月2日土曜日

10、内向型の特徴

C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

内向型は、自らを方向付けるさい、外向型のように客体や客観的事実を基準にするのではなく、➡ 主観的要因を基準にする

このタイプが自らを方向付けるさいには、刺激から受ける主観的要素としての知覚や認識を基準にする。外向型が主として外部から受ける刺激に、素早く素直に順応することを行動の原理にしているのに対し、内向型は外から受けた刺激から、自らが受ける印象によってどう行動するかを決定している。➯(必ず自分の判断が割り込んでくる)

しかもその場所に(内向・外向は生得的な脳の機能の違いによるものなので)自我は関わることが出来ない。しかし、これらのことは外向型の人が内向型の人に対して抱くような、自己愛的・自己中心的なものではない。なぜなら、知覚や認識の全てが客観的なものではなく、主観的な制約を確かに受けているからである。

しかし主観的要因が優越しているということは、客体が本来の意味を持たされていないことも意味する。客体は外向型にとってはあまりにも大きく、内向型にとってはあまりにも小さい発言権しかもたない。そのため内向型の意識が極端に主体化すると、自我に分不相応な意味が与えられ、自我が客体と対決させられる

客体は有無を言わせぬ威力を持つ存在であるが、客体に対峙するのが自己であれば事情は違ってくる。つまり自己と世界は大きさが同じ次元のものであり、正常な内向型の構えは正常な外向型の構えと対等の存在理由と妥当性を持つ
アンソニー・スティーヴンス「ユング」講談社選書メチエより

一方自我は、客体に対峙するには余りに小さく弱々しい。もし自我が自己に代わる立場を要求すると、その補償として、客体の影響力に無意識的な強化が生じる。この変化は次のような形で人目を引くようになる。

すなわち自我の優位を確保しようと、狂ったように努力するにもかかわらず、客観的事実は圧倒的な影響力を持ち続け、しかもその影響力を無意識のなかで捉えるため、(意志の力において)その強制力に逆らうことが出来なくなる。内向型の自我は外向型のように適応するのではなく、客体を支配しようとするので、無意識の補償作用により、意識の中では抑えることのできない無条件な固着(コンプレックス)として現れる

自我が主体の独立と優越を主張する一方で、義務(客体に対する適応)を怠ると、ますます客体との奴属関係に陥る。精神の自由は屈辱的な経済的依存という鎖によって縛られてしまい、無頓着な行動が世間の顰蹙を買い、卓越するはずの道徳性がつまらない関係性の泥沼にはまり、相手を支配したつもりが、みじめにも愛されることを追い求める羽目になる。

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