2017年11月5日日曜日

3、存在していたプラウト的政策

第一次成長期・1950年~1975年(プラウト期)
プラウト的政策期には、税引き後の実質賃金指数1955年に21.1だったものが、1973年には59.5へと上昇している。

これを見ても分かるように当時のの経済成長は例外的な強さを示していた。この時代の税引き後の実質賃金は18年で182%もの上昇分が作り出された。一方、

国全体の生産性は、0.52から2.04となり292%の上昇分が生まれ、62%分が税引き後の実質賃金の上昇分に当てられたことになる。つまり、

生産性上昇分のうち62%が労働者に還元されたということである。

一方、租税負担率を見ると、25%の上昇分しか生んでいない。ということは、生産性上昇分の25%が政府へ、労働者に還元された62%を引いた分の13%が資本と不動産に投入されたことになる。

 ( `ー´)ノ所得税の課税はかなり累進的に行われたので、このことは政府が資本家などに偏りがちな高額の所得から、かなり税金という形で持っていったことを意味する。➡  ラビ・バトラ

この時代に所得の格差が小さくなった理由は、大企業と中小企業の賃金格差が狭まったことと、1960年代後半以降の政府の社会福祉への支出増があったためである

第二次成長期・1976年~1990年(非プラウト期)
第二次成長期では、生産性は76%もの上昇分があったにもかかわらず、

税引き後の実質賃金はほとんど横ばいのままだった。(賃金指数は1985年までわずかに下がった後、1993年までにゆっくりとだが上昇してきた)

この賃金の停滞によって賃金格差が広がり、結果的に不平等格差を生んできた。累進課税制度の抑制の下にあっても、その格差は広がっていったのである。

この伝統的な経済政策の時代である第二次成長期では、政府が生産性の上昇分のうち約半分を手に入れ、残りが資本の分野に流れていったことになる。特に、

1975年から1985年の間、税引き後の実質賃金が下降していたときには、企業の利益は急増していた。それに加え、税制によって高い減価償却が認められていたため、

実際に報告されている利益よりも内部留保金の伸びはもっとあったはずである

民主的な経済政策のほころび
1970年代から企業の吸収合併が頻繁に行われるようになり、1950~1960年にかけて減少した産業独占の割合が強まってゆく。そして各産業における独占率はアメリカのレベルにゆっくり近づいていった。➯ 市場はハイレベルの競争から大企業による寡占状態へと移行

その一方で、このような変化は企業間の競争力に深刻な影響は与えなかった。つまり、独占がもたらす弊害が起きなかったのである。なぜならば、組合の力が弱まり、従来ならば組合が能力に合わせて勝ち取っていた賃金が獲得できなくなっていたからである。

日本の企業はすでに国内ではなく海外との競争に入っていたことから、➯ 組合は価格低下とそれに伴う賃金の低下には抵抗できなかった。 これが、

生産性が上昇したにもかかわらず税引き後の賃金が下落していった主な理由である

 ( `ー´)ノ当然ながら企業内における民主主義経済もすたれていった。ここまで見てくれば、私たちは「家に持って帰れる」給料を問題にする限り、日本の経済は1975年以降停滞していると結論付けることが出来るだろう。➡  ラビ・バトラ


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