2017年11月24日金曜日

2、主体と客体

そうですか、あなたも私と同じように困ってるんですね」。
➡ カール・G・ユング

個の主観的な判断の「曇り」が頻繁に起こるのは、各タイプのいずれにも、そのタイプの一面性を補償しようとする特別な傾向、すなわち心の平衡を保とうとする意味で生物学的に合目的的な傾向が内在しているため。この補償作用により、副次的な性格が現れるが、この副次的なタイプを判読するのは難しく、タイプ論の理解を妨げている。人は誰でも自己保存のための、内向と外向の二つのメカニズムを有しており、相対的に優位な方がその人のタイプとして現れるに過ぎない。

 ■内向と外向
二つのタイプの問題は昔から、深い洞察力をもつ思想家の関心を引いてきた。たとえばゲーテは彼の直観により、収縮(ジストレー)と拡散(ディアストレー)という包括的原理として呈示した。内向や外向に関する名称や概念は実にさまざまであるが、根本的な理解は常に共通である。

すなわち、一方は関心の向きが客体へ向かい他方には関心の向きが客体から離れて主体へと、つまり主体自身の心理過程へと向かうという解釈である。

外向型の場合、客体は主体に対して磁石のような働きをし、主体を引き付け支配する

それどころか➡ 客体は主体者自身を疎外して、主体の性質を客体と同化することによって変えてしまうのである。

つまり➡ 客体が主体がより高い意味を持ち、自らの運命に関しては客体が絶対的な力を持つと考えるようになる。

 これに対して内向型の場合⇒ 主体がいつも関心の的である。

それはまるで⇒ 究極的にはすべての生命エネルギーが主体を探し求めており、そのために、客体が何らかの意味で強い影響力をもつことを常に妨げているように見える。

外向型とは逆に⇒ 主体自身が磁石となり、客体のエネルギーすべて引き付けようとしているような印象を受ける。

⇒ 内向的な立場は、 自我や心理的な事柄を客観的事柄より上に置こうとする、あるいは客体に対抗しようと努める。この態度が高じると、客体が常に低い価値基準に置かれ、副次的な意味しか持たなくなる。客体は主観的な内容をあらわす記号あるいは、理念が具象化したものにすぎない。

➡ これに対して外向的立場は、主体を客体より下に置き、客体に高い評価を与える。主体はつねに副次的な意味しかもたない。つまり主観的な事柄はしばしば単に客観的な出来事を妨害する余計な添え物としか思われないのである。

こうした二つの立場から生まれる心理が、二つの異なった方向に分裂せざるを得ないのは明らかである。一方は何事も自分の見解を視点として見るが、他方は客観的な出来事を視点として見るのである。

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