2017年11月22日水曜日

1、「タイプ論」まえがきより

C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

本書は臨床心理学における、ほぼ20年にわたる研究の成果である。このアイデアは、一方では精神科及び神経科における臨床やあらゆる階層の人々とのつき合いによって得られた無数の印象や経験から、他方では友人や反対者との私の個人的な討論から、そして最後に私自身の心理的特質の批判から、しだいに生まれてきたものである。私は読者を複雑な議論に悩ませることはしたくないと思った。その代わりに私が用いたのは、経験から引き出した私の考えを、歴史的にも用語においても、すでに存在している見解と関係づけることであった。私がそれを企てたのは、歴史的に正当に評価されたいと思ったからというよりは、むしろ専門医師たちの経験を狭い専門分野から広い世界に持ち出して、教養ある素人が専門分野の経験を利用できるようにしたいと思ったからである
(1920年春、チューリッヒ・キュスナハトにて)より

(タイプ論に対する)批判はしばしば次のような誤りを犯している。つまり彼らはタイプがいわゆる勝手に考え出されたものであって、経験的素材にいわば押しつけられたものだと思い込んでいるのである。私はこの思い込みに対して、私のタイプ論は長年の臨床経験の結果であり、しかもこの経験は書斎派の心理学者にはまったくうかがい知ることのできないものであることを強調しておきたい。私は何よりもまず医師であり、臨床心理療法家であり、私の心理学の定式はすべて、日々の困難な職業労働の経験から生まれたものである。それゆえ私が本書で述べていることは、いわば一言一句が実際に患者を治療している中で何百回となく試みられたことであり、もともとはその中から生まれたものなのである。(第七版序文)より

■二つのタイプ(内向型と外向型)
私が臨床医として神経症患者と接する中で、ずっと以前から気づいていたことがある。それは、人間心理には、個人各々の違いのほかにタイプの違いもあるということである。中でもまっ先に私の注意をひいたのは、私が内向型および外向型と名づけた二つのタイプであった。

人間の人生の歩みを観察してみると、一方の人間の運命は自身の内面によって、つまり主観によって影響を受けているように見え、他方もう一方の人間は、社会や歴史などの外部の影響を受けているように見える。

そして私たちは、いくぶんかは前者か後者の側に片寄っているので、当然のことながら、何事もそのつど自分のタイプを基準にして理解しがちである。

 *認知バイアスにより、現実や普遍性を歪める危険がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿