2017年10月4日水曜日

5、創造力>破壊力

君たちの小さな勝利を認めよう。だが、それはごく短い時間だけだ。妻はいつもわれわれと共にいて、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂の天国で。息子と二人きりになった。もう君たちに構っている暇はない。(中略)この子がずっと幸せで自由に生きて行けば、君たちは恥を知ることになる。だから、君たちを憎むことはしない
➡ アントワーヌ・レリス


 エーリッヒ・フロム 「悪について」(紀伊国屋書店)より
この言葉の正当性は、個人及び社会のスケールにおける経験的資料により立証することが出来る。精神分析のプロファイルは、

完全に独立して生きることが出来ず、復讐の欲求に生活のすべてを賭けるような神経症的な人よりも、

円熟した創造的な人は復讐の欲求をもつことが少ないことを示している

精神病理学的に見て重症の人は、復讐はその人の生涯の主目的になるというが、それは、
➡ 復讐することがなくなれば、自尊心はおろか、自分が自分であるという感じ(アイデンティティ)が崩壊するからである。

同様にわれわれが気づくことは、もっとも後進集団(経済的・文化的・情緒的側面で)の中で、復讐の気持ち(例えば過去に起こった国家の敗北に対して)が最も強いと思われるということである。

このような理由で、工業国においては、中産下層階級はもっとも搾取されているために、復讐感情の焦点となることが多い。ちょうど彼らが、民族主義的並びに国家主義感情の焦点であるのと同様に。

多くの未開社会では、激しく、しかも制度化されている感情と復讐のパターンをもち、成員に加えられた危害には、集団全体が復讐する義務があると考えている。ここでは二つの要因が決定的役割を演ずることになる。

第一は未開集団に浸透する復讐を、危害回復の必要手段とする精神的に貧困な雰囲気で、第二はナルシシズムである。

未開集団に賦与されている強力なナルシシズムからみて、自己の生き写しに対する侮蔑は実に重大事であり、その侮蔑が激しい敵意を起こすことは至極当然である。

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