2017年10月3日火曜日

4、妬みと嫉妬・復讐-暴力の形態(2)


 エーリッヒ・フロム 「悪について」(紀伊国屋書店)より
反動的暴力のもう一つの面は「欲求不満」による「激情」である。願望や欲求が挫折するときには、動物や子供、そして大人であっても攻撃的にふるまうことがある。こういった攻撃的行動はほとんど報われないが、挫折した目的を暴力的な行為により果たそうとすることが、その「激情」の本質である。

願望や欲望の挫折は現代社会では頻繁に起こることであり、その結果としての暴力事件が日常的に起こることは驚くにあたらない

欲求不満に由来する攻撃性と関連して、<妬み>と<嫉妬>から生ずる敵対行為がある。妬みも嫉妬も欲求不満の特別な種類である。

それはBがAの欲しいものを持っているとか、Aが愛されたいと思っている人に、Bが愛されているというようなことが原因となり、Aが欲しがっていても所有できないものを持つBに対して、Aの心中に憎悪や敵意が起こるのである。

Aの敵意は、望むものを手にできないばかりでなく、他人がそれを手に入れるという事実によって強化される。自分には何の落ち度もないのに、神に愛されなかったカインが、神の愛を受けるアベルを殺害する物語は、妬みと嫉妬の古典版である。

反動的「激情」に関係あるが、より病的な「激情」のタイプは「復讐の激情」である、防衛のための反動的な暴力においては、その目的は脅迫されている危害を避けることにあるので、この「激情」は生命保存のための生物学的に合理的な機能である。ところが、

復讐の場合、危害はすでに与えられているので、その激情に防衛の働きはなく、「復讐は無意味である」という言葉の意味が表すように非合理である

復讐の動因は、集団または個人のもつ強さと創造性に反比例する。

創造的能力のない人間は、自尊心が傷つけられたり砕かれたりすると、その回復の手段として頼れるものは「目には目を」というたとえのように復讐することだけである。

一方、創造的に生きている人にはそういう必要はほとんどない。傷つけられ、侮辱され、損害を与えられても、創造的に暮らしている過程そのものが過去の傷を忘れさせる。生み出す能力というものは、復讐の欲求よりも強いということがわかる。

君たちは素晴らしい人の命を奪った。掛け替えのない人、私の最愛の人、息子の母親を君たちは奪った。君たちが誰か知らないし、知りたいとも思わない。君たちは死んだ魂だ。憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ無知に屈することになる
➡ アントワーヌ・レリス

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