2017年10月17日火曜日

1、クリシュナムルティの授業

君は神を信じるか?

「何の話です?」

神の望みは人間が死を恐れることだ。父の事故死は私に恐怖心を与えた。お陰でいい人間になれた。人間は死で終わりを迎えることを前提として存在する、あの少女を生かしておけば社会の価値観は崩壊する、死の恐怖がない社会などクズだ、堕落だ。あの少女は希望の代わりに絶望をもたらす、私は絶対許さない
⇒ ディーン・クーンツ「生存者」


 J.クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」平河出版社より
■1954年1月5日「ラジガット・スクールで生徒たちに語る

あなたにとって恐怖とは何でしょう。あなたは先生や両親、年長者を恐れているかもしれません。そして水牛や蛇、誰かに噂されることや死について怯えているかもしれません。だれでも恐れを持っていますが、

恐れは人間が成長するにつれ複雑で困難で微妙なものになります

例えば偉大な作家になりたいと考え、執筆活動ができれば幸せだと考えたとします。ところが予期せぬことが起き、書きたいものが書けなくなったり、書くことがなくなってしまうこともあります。すると私は無気力になり、

自分の人生を生きていないと感じるようになります。それが私の恐怖になるのです。大人になるにつれて、

取り残されること、友達がいないこと、財産を失うこと、何の地位も持たないこと等々、さまざまなことが恐怖となります

あなたたち若者が恐怖について考えるのは重要なことです。

なぜなら社会や大人たちは、

皆さんが行儀良くふるまうためにも恐怖心は必要だと考えているからです

あなたが親や先生を怖がれば怖がるほど、あなたを支配しやすくなるでしょう

彼らは「これをしなさい、あれはしてはいけない」と指示します。そしてあなたは従わざるを得ません、

大人数のクラスを管理する手段として、恐怖心を道徳的圧力として利用するのです

そして社会は大人にも恐怖心は必要だと言っています。恐怖心がなければ、市民や住民はやりたい放題、好き勝手に行動するだろうと考えるからです。

恐怖はこのように人間を管理するのに不可欠のものになってしまいました

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