2017年10月11日水曜日

4、生存競争では説明不可能


 ジェレミー・リフキン著、竹内 均訳、エントロピーの法則Ⅱ「21世紀の生存原理・遺伝子工学時代の世界観」祥伝社より

自然淘汰説への反論
自然淘汰の目的は、単純から複雑へ、構造上劣ったものから優れたものへ、という種の発達にあるというが、自然界にはいまだに優れたものと劣ったものが同時に存在しているではないか。なぜ、単純なものが淘汰されていないのか
➡ ガートルード・ヒンメルファーブ

ダーウィンは、ミツバチの能力を高く評価し、自然淘汰の作用がゆっくりとミツバチの本能を発達させて、最小の努力で最大の蜜を得るところまで進化させたと褒め称えたものの、ほかのハチについては言及していない。たとえばクマバチにはミツバチほどの優れた能力はないが、大いに繁殖している。これは、優れたものが残り、劣ったものは淘汰されるという自然淘汰の理論と一致しない

「眼」の発生の矛盾
眼は、涙腺や瞼などさまざまな部分から成り、すべてが同時に機能するような完成品になった場合にしか成り立たない。ところが、

目の進化過程の初期段階に、各部分は未完成で機能の関連性が無く、存在理由が無かった

自然淘汰が、器官が最終的にどう発達を遂げるかはおかまいなしに起こる冷酷な事象だとすれば、説明がつかない。ダーウィン自身、

「目について触れられると、どう考えていいか分からず、ゾッとする気持ちを抑えられない」。と友人への手紙の中に書いてるし、

眼は距離によって焦点を変えたり、入る光の量を調整したり、自由自在に機能する。これが自然淘汰で作られたと考えるのは、まったく無理であることを私自身認めざるを得ない」。と告白している。

 生物の持つほとんどの機能は、常に総合的に働くのである。ところが、

 自然淘汰的にいうと、新しい特性はすべて、その時点で有用か無用かで分けられてしまう。少なくともダーウィン派の人々は、私たちにそう信じ込ませた

独り歩きする進化論
 「事実の一部を誇張した理論が広がりすぎた。自然界で非常に厳しい生存競争が行われていた時期も確かにある。しかし、困難な自然界の中で攻撃的な生物が出るいっぽう、守りによって生存を確保しようとする生物も増えたのである」。

「武器を研ぐものもあれば、相互扶助を試みるものもあった。生きる闘いに必ずしも競争がつきものとは限らない。攻撃だけが生きる方法ではない。集団で安全を確保しあう方法を選ぶ生物も存在するのである」。
➡ 「生物学概観」ジョン・アーサー・トンプソン、パトリック・G・ゲッデス

多くの場合、自然の激変が死や破壊の原因であり、生物の生死が全くの運しだいであることも多い。生き残ったり生まれてくる生物が適者だとは限らず、ただ幸運としか言いようがない場合も多い。 ➡ ジェレミー・リフキン

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