2017年9月8日金曜日

9、ひとでなしの原理

自分のうちに安らぎを見出せないものが、それを外に求めても無駄である
⇒ ラ・ロシュフーコー

イメージに同一化している人間は、他人もまた一つのイメージとして見ている。多くの場合それは否認されている自己のある側面を象徴する(投影化)。ナルシシズムは、

個人の実体を、受容される側面と否認したい側面に引き裂き、後者を他人に投影する

他者に対する攻撃は、この否認された側面を破壊したいという欲望から生ずるものである。

たとえば、

自分を抜け目のない優秀な人間と考える詐欺師は、 ⇒自分の獲物をウスノロの馬鹿と見なしているだろうし、同様に、

自分が正義や名誉のために闘っているとイメージしている兵士は、敵を凶暴で下劣な奴と見なすだろう

➽ 自分に抱くイメージが強くてたくましいものであるなら、人は傷つきやすさとか弱々しさといった破壊されるべきイメージを、他者に投影するものなのであ

平和時における不必要な暴力行為も、このような原理で説明できる。このことを考える際、恰好の事例となるのが、公園のベンチに寝ていたホームレスの老人を殺害するような非行少年たちの行動である。それはたいていの人がショックを受け、うろたえてしまうような非人間的な行為である。彼等には人間的な感情というものがないのだろうか?

彼らが老人にたいして、いささかも感情を抱いていなかったことは明らかである。

少年たちは老人を現実に実在する人間としてではなく、単なるイメージとして、

つまり胸糞の悪くなるような、それゆえ撃退されるべき老いぼれとしてのイメージ「少年たちが無意識のうちに自分自身に抱く、払拭したいと望むイメージ」としてのみ見ていた。

だが、彼らは自分が殺すことになっている人間たちと接触をもたなかった兵士と違い、彼らは生身の人間をまのあたりにしていた。

彼らはふざけ半分に老人を殺すことで、老人の人間性を否定し、その過程で自らの人間性をも否定した。おそらく少年たちは、

➽ このような罪をおかすまえに、自らの人間性を失っていたと考えられる

そして間違いなく、自分の人生にたいする激しい嫌悪感やヤケくそな気持ちが、彼らに自分の感情を否定させたのだ。
➡ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」文化・心理の病理(新曜社)より

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