2017年9月3日日曜日

4、文化のナルシシズム

イメージに対する過剰なこだわり
人がイメージに過剰にこだわるのは、私たちの文化がナルシスティックであることの現れである。現在よく見られる身体へのこだわりは、健康への関心の面と、ナルシステックな面とを分けて考える必要がある。

私たちは自分の身体をよく知っている必要があるし、活力を高めてくれる運動に取り組む必要もある。しかしながら今日では、流行の理想に合わせて<カッコよく見える>ことを目的にしている人があまりにも多すぎる

彼らが手に入れたいのは、意思の命令通り働く、脂肪の少ない頑丈な身体だ。確かに鍛えた筋肉組織は、人を強そうに見せはするものの、それは自然と生気を損なわせ、健康な呼吸活動に制約を与えるものだ。

このようなナルシシズムへの傾倒は、「太っちゃダメ ―フラットでいなさい」などの書物からも伺い知ることができる。フラットというのは、お腹が全然出ていないということであるが、本当にそうなるためには、腹式呼吸が不可能になるまで、腹筋を緊張させなければならない。

健康に対して逆効果であることを別にしても、フラットとは否定的な特性である。何かがフラットであると言えば、それが退屈で魅力がないということだ。フラットな人とは退屈な人であり、人をフラットにすると言えば<がっかりさせる>ということなのだ。心理学的には、フラットは感情の欠如を意味し、これらのことから、ナルシシストがなぜフラットを美徳にするかを理解することができる

人が本当に心地よさを感じているとき、他人も心地よく感じる身体の印象は、目の明るさ、肌の輝き、穏やかな顔の表情、上品な身のこなしに自然に現れる。逆に、カッコよく見えるというイメージに集中すればするほど、人は自分の中にある気持ちの良さを剥奪されることになり、イメージは貧弱な仮面になる。

ナルシスティック な文化
個人のナルシシズムは文化のナルシシズムに対応している。私たちは自分のイメージにあわせて文化を形成し、個人は文化によって形成される。そのため一方を理解することなしに、他方を理解することは出来ない。心理学が社会学を無視したり、反対に社会学が心理学を無視することも出来ない。

文化のレベルにおいて、ナルシシズムは人間価値の喪失のうちに、つまり環境への関心、生活の質に対する関心、同胞への関心の喪失のうちに見出すことができる。利潤や権力のために自然環境を犠牲にする社会は、人間の欲求に対する鈍感さを示すものである。

物質的なものがどれほど増大したかということが、生活がどれほど進歩したかということの尺度となり、男は女と、労働者は雇用者と、個人は共同体と闘わざるを得なくなる

知恵よりも富が高い地位を占め、人間としての品位よりも名声が賞賛され、自分に敬意を払うことよりも成功することのほうが重要だとされるときには、

➽ 文化そのものが「イメージ」を過大評価しているのであり、それはナルシスティックだとみなされなければならない

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