2017年9月2日土曜日

3、「力」を崇拝する人々

「ナルシシストとそれ以外の人間を区別するものは、人間味の欠如である。彼等は自分のことをかまってくれない世界にたいして自分が値打ちのある存在であることを証明するために、人生が費やされることの悲劇を感じていない。自分が優れた人間、特別な人間であるというナルシスティックなファサード(心理構造)が崩壊し、喪失と悲しみの感覚を否応なく意識せざるを得ない時には、しばしばもう手遅れである」。
➡ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」文化・心理の病理より

負の興奮という概念は、ナルシシズムの問題と密接な関係がある。どんな人でもそうであるようにナルシシストもその生活において興奮を必要とする。だが、

自分の感情を否定してしまっているので、ナルシシストは憧れや情熱といった正の興奮を経験することができない

そのため、ナルシシストは勝つか負けるかという賭け、権力闘争、危険な状況に自ら踏み込むなどして、興奮を呼び覚まそうとする  

その興奮は、金銭や生命や権力を失うかもしれないという脅威と、その脅威を克服する自己の能力との緊張関係から生ずる

ギャンブルで勝った金や手に入れた権力は、それ自体ほとんど何の意味もない。

 勝てば自我の肥やしにはなるが、身体レベルで必要とされる快楽はほとんど得られないからである。彼が得ることのできる唯一つの快楽は、脅威を除くことから生ずる負の興奮であり、 その快楽は充実感ではなく安堵感なのである

⇒ 権力に反撃を加え得るのは権力だけであり、それゆえ戦闘には終わりがない。無力な人々が平等な権力というものを求めても答えは得られない。平等な権力などというものは存在しない。もしも誰もが平等な権力を持っていたら、誰も人をコントロールすることができないだろう。 
⇒ それは本当の権力が存在していない事を意味する

ひとたび権力という見地からものを考えるならば、
⇒ 存在するのはただより大きな権力を求める闘争のみである。誰も決して十分な権力というものを持つ事が出来ない

⇒ 権力は自分の劣等感を克服するものでもなければ、屈辱という内面の感情をいやすものでもない。権力はただそうした感情を否定するのみである

⇒ 権力は、人間のナルシシズムを増大させ、心の底に潜む不安感を強化するものなのである

たとえば人生のすべてを、高いところも低いところも知ること、権力を持つこと、賞賛されること、自分は特別だと感じること。権力をもつことへの誘惑にはなかなか抵抗しがたい。とりわけ、子どものとき自分が愛するひとびとに傷つけられたり、裏切られたりしたことのある人には。

権力と引き換えに天国を売り渡すことは、悪魔の取引である。そしてそれこそナルシシストの取引なのである

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