2017年9月1日金曜日

2、防衛のための優越幻想

私は二つの相反する欲望、すなわち有名になりたいという欲望と、ひとりの人間になりたいという欲望、 つまり自分らしい自分への欲求に引き裂かれていた。ある意味で本書は自分らしい自分を実現しようとする私の格闘のために書かれた個人的な遺書のようなものである
➽ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」文化・心理の病理(新曜社) より

ナルシシズムとは自己を犠牲にしてなされる、自分のイメージへの過剰なのめりこみを特徴とするパーソナリティ障害である。ナルシシストたちは、 自分がどう感じるかということよりも、自分がどう見えるかということに関心を持つ。じっさい彼らは、自分が追い求めるイメージと、矛盾するような感情を否定していく。彼らは感情無しに行動しながら、人を誘惑操縦し、権力支配力を得ようとして闘っている。

彼らは自己中心的な人間で、自分の利害に関心を集中しながらも、真の意味での自己の価値、

自己表現自己抑制品位の感情誠実さ、が欠けている。ナルシシストには、身体感情からくる自己感覚が欠けている。がっちりとした自己感覚が欠けているために、

彼らは人生を空虚で無意味なものとして経験する。それは荒涼とした状態である

お金や権力が十分にあれば、人はどんなイメージにも、見た目以上の重要性と力を付与することが出来る。爆弾やピストルがあれば、 ⇒どんな弱い人間も、自分を世界の強力な勢力と見ることができるのだ。そして事実そのとおりである。そうなれば彼らは、 ⇒普通の人間のもたない破壊力を持つことになるからである

人に傷つけられたり、拒否されたり、侮蔑されたりすれば、われわれはだれでも痛みを感じる。だが、誰もが感情を否定したり、傷つくことを知らぬ優越せる人間といったイメージを投影したり、権力を渇望したりするわけではない。その違いは幼児体験にある。

子どもが何らかの形で絶えず屈辱感にさらされていれば、身体にも精神にも屈辱の恐怖が構造化されてゆくことになる。このような人間は苦も無く次のように誓うことが出来よう。 

大きくなったら私は権力を握り、お前にも誰にも二度とこんなことを、私にできないようにしてやる。 

不幸にもわれわれの社会では、こうしたナルシシズム的外傷が多くの子どもに生じている。なぜかといえば

自分の子どもを左右する力を、自分の個人的な目的のために利用する親が多いからである




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