2017年4月26日水曜日

16、共棲的結合

「愛するということ」エーリッヒ・フロム著、鈴木昌訳、紀伊国屋書店より

共棲的結合の受動的な形はマゾヒズムである。
マゾヒスティックな人は、
⇒ 耐えがたい孤独感から逃れるために、
⇒ 指図し、命令し、保護してくれる人物の一部になろうとする。

その人物は彼の命であり酸素である。彼が服従する者が人間であれ神であれ、その者の力は膨れあがる。

 「彼は全てであり、一方私の方は、彼の一部であるという点を除けば、無である。ただ、私は彼の一部であるから、偉大さ・力・確実性の一部でもある。マゾヒスティックな人は自分で決定をくだす必要が無いし、危険をおかす必要もない。彼は決して一人ぼっちにはならない。しかし、彼は、独立しているわけではない」。➡ エーリッヒ・フロム

宿命、病気、音楽、麻薬、マインドコントロールによる興奮状態への服従というものもあり得るが、どの場合でも、服従する人は統一された人格を捨て去り、外部にある、人や物やシステムの道具になる。そうなると、創造的活動によって生の問題を解決する必要もなくなる

共棲的結合の能動的な形はサディズムである。
サディスティックな人は、
⇒ 孤独感や閉塞感から逃れるために、
⇒ 他人を自分の一部にしてしまおうとする。自分を崇拝する他人を取り込むことによって、自分自身を膨らます

「マゾヒスティックな人がサディスティックな人に依存しているのに劣らず、サディスティックな人も服従する人に依存している。両者はちょうどコインの裏表のような関係であり、表面的にはかなり違うが、感情面のより深いところでは、相違点より共通点のほうが多い。その共通点とは、完全性に到達しない融合である」。➡ エーリッヒ・フロム

共棲的結合の対極は成熟した愛で、それは、
⇒ 人間の内にある能動的な力による個人の全体性を確保したままの結合
⇒ 人と人の境界を壊す力であり、人と人を結びつける力でもある。

「愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人であり続けるという、パラドックスが起きる。」➡ エーリッヒ・フロム

2017年4月14日金曜日

光明の世界へ

神は、我々の生と死の第一義的な要因に直接関わってはいない。神は我々と結婚しないし、夜を共に過ごすこともない。殺人者のピストルに倒れることもなければ、車の後部座席に座り煙草をくゆらすこともない。

もちろん我々は、神を演じることはできないが、まるで自分には責任がないかのように装い、人生に降りかかった事柄の受け身的な犠牲者であるかのように振る舞うこともできな

我々一人ひとりは、高尚な聖職者であり、神聖な国家であり、神の御手のもとにある者でもあるのだから。➡ ウィリアム・S・コフィン

二本のフォーク
聖なる木の上に、ラコタ族が太陽の踊りに使う二本のフォークがある。二本のフォークは、我々の中にある否定と肯定の心を象徴している。そして、我々が状況にどう対処するかがフォークの中にあるのだ。「善」と「悪」を使い分けることは、創造主が私たちに課した課題の一つである。私たちは、その責任を悪魔にでも押し付けてしまいたいが、創造主は基本的に、人間が自らの生き方を自分で決め、意識と力を最高のレベルに高めるために、この世に生を与えてくれたのである。私たちが、ただ何もせず怠けているか、与えられた命を使って価値のあることを成し遂げるかは、私たち自身の選択である。


例えば、この数年に起こるハリケーンが非常に大きな力を持つのは、人間があまりにも多量の二酸化炭素を大気中にばらまいたためである。地球の変化の多くは、このような因果関係で起こっている。私たちが、無知や放漫さや愚かさのために原因を作れば、自分の行為の結果を背負って生きていかなければならないのだ

ここで、よく注意してほしい。地球の大変化のときには、必ず警告がある。聖書は、黙示録の中でもマタイ伝の中でも、この世界の終わりについて語っている。私が解釈したかぎりでは、それは、世界を成り立たせているシステムの終わりを意味していた。地球自体の終わりではない
➡サン・ベア&ワブン・ウィンド、加納眞士/三村寛子訳「インディアンの大予言」扶桑社より

光明の世界
(=゚ω゚)ノ 「エデンはかつてあったのではなく、未来にある?」

( `ー´)ノ 「エデンは今、存在しているのです。<父の御国は地上に広がっているが、人の目には見えない>」。

(=゚ω゚)ノ 「エデンは今ある?苦痛と死と暴力にあふれたこの世界にですか?」

( `ー´)ノ 「世界はそういう有様に見えますが、そう、これがエデンです。この地上に天国が広がっているのを見るとき、世界における古い生き方が払拭される。それがこの世の終わりです。世界の終末は未来にやってくる出来事ではなく、心理的な変身、ヴィジョンの変革という出来事です。そこであなたは具体的な事物の世界ではなく、光明の世界を見ます」。
➡神話の力/ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ共著、飛田茂雄訳、早川書房)より



 

パラダイム大変革

文明の盛衰パターン
現代の様々な問題を理解するには、広い視野に立ち、人類の文化的進化という脈絡の中で、われわれが置かれている状況の「意味」を考える必要がある。静的な歴史という視点からダイナミックな変化のパターンという視点へ移行する必要がある。このような視点で見れば、危機は変化の一側面であるということが分かる。

歴史的に重要な文化変革の時期には中心的変化が起こる10~30年前に、こうした示唆的な現象が起こる傾向がある。そしてそれは、中心的変化が近づくにつれ、頻度と強さを増し、過ぎ去ったあと再び減少する。
➡「新ターニングポイント」フリッチョフ・カプラ著、1995年、工作舎より

 「私たちの社会は驚異的な速度で堕落しています。ある人々は、書物を著すことによってこれらの諸問題の解決の道を探り、戦おうとしています。『なぜ民主主義は滅びたのか』『デカルトからベイトソンへ-世界の再魔術化』『麦わら革命』『ターニング・ポイント』『エントロピー』『メガトレンド』『失われた緑のパラダイス』などは、それらの中のほんの一部です」。
➡ アン・ウィルソン・シェフ
私たちの社会は、シェフが著書『女性の現実』で述べた「白人男性システム」に支配されているという。次著『嗜癖する社会』で人々が当然のこととして受け入れている社会は「嗜癖システム」であり、「嗜癖システム」と「白人男性システム」は同じものだという。

■<先進国>システムの特徴
1、システムは唯一のシステムであり、これ以外の現実は認めない。システムの外に住む人々は現実を理解していない、あるいは物事の道理がわからない。他の文化のシステムは見当違いで、非論理的か気違いじみているとして放棄される。

2、このシステムは議論の余地なく優れている。なのでこのシステム以外は議論の余地なく劣っている。

3、システムは全てを知り理解している。このシステムの方法論とテクノロジーによって、論理的に理解することができないものは存在しないと定義される。反対に、システムが知識とは何か、学ぶべきものは何かを限定し強制するので、広大な知識の領域を狭め、認めたくないものは締め出し、存在しないものにしてしまう

4、システムは完全に論理的、合理的、客観的である。このシステムに住む人は、左脳と感覚のごく一部しか使わず、その他の方法を無視する。右脳や脳幹機能のような、直感や多次元的で非直線的な思考といったものは無視されるか、価値がないとみなされる。

これらのことは、一つの神話として包括することができる、それは、このシステムこそ神であり、存在する唯一の現実であるという神話である。このシステムは、他のどんなシステムにも優越し、全てを知り理解しているということになっているため、必然的に究極的な支配を目指すことになる

そのため、私たちはこのシステムで生きてゆくために、言語や価値観や思考、そして世界観をシステムに適応せざるを得なくなる。自らの現実を否定し、ほんの少し受け入れてもらうために、個人の生命力の全てを引き渡さなければならなくなる
 ➡アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会、1993年、誠信書房」より


人類進化のヴィジョン

「変性意識の舞台、菅靖彦 著、1995年、青土社」より
これまでの人間の生き方ばかりか、人間というコンセプトを根底から変えてしまうような変化がすでに始まっているのである。その変化をしっかり把握し、しかるべき対応をしてゆくためには、明確なヴィジョンをもたなければならない。その一つとして私はここに『人類シャーマン化のヴィジョン』を提示した。」➡ 菅靖彦

シャーマニズムとは何か?
シャーマニズムは簡素な遊牧民の、狩猟採集民族社会から始まった。まだ階級分化が起こっていないそのような部族社会の中で、シャーマンは治療、儀式の執行、呪術、神話の伝承などを一人で行っていた。ところが農業が発達し、社会が放浪型から定住型へ変化すると、階級の分化が起こり、シャーマンの役割も分業化してゆく。王、司祭、詩人、治療師、霊媒などがシャーマンにとって代わられた。

西洋では、ギリシャ文明の前身をなすミノア文明の崩壊を契機に、母権制社会が消滅し、イマジネーションより合理性を重んじる父権性社会が成立する。しかし、シャーマンの伝統は完全に消滅したわけではなく、「秘儀」として受け継がれ、後の歴史に少なからず影響を与えることになる。

合理性重視の袋小路
近代社会は、合理性重視の父権制社会の延長にあり、理性の貫徹による自由と平等の実現を理想としてきたが、超越的な存在基盤(無意識の領域)との繋がりを断たれている(神話の喪失)ため、存在の根拠を持ちえず、不安定な存在にならざるを得なかった。そうした不安定性(実存的不安)がカリスマへの依存や、マス・ヒステリー現象を生み出すことになる。

白人は冷酷に見える。目はじっと見つめるような表情。いつも何かを探している。だが何を探すのだ。白人はいつも何かを欲しがる。いつも不安で落ち着かない。何を欲しがっているのか、我々にはわからない。どうかしてると思う」。➡ マウンテンレイク(アメリカン・インディアンのシャーマン)

今日我々は、神話や歴史がなくても生まれることができ、生きることができると思っていますが、それは病んでいるのであって、完全に異常なことなのです」。➡ C・G・ユング

「現代史は、近代の合理主義がさまざまな形で矛盾を露呈するのを目撃し、必然的に、何らかの方法での合理主義の乗り越えを迫っている。とはいえ、自由と平等(理性による民主主義)の理念を、私たちが放棄するわけにもいかない。となれば、自由や平等性を保ったままでの超越の問題がクローズ・アップされてくる。その時に有効に作用すると思われるのが、『人類のシャーマン化』という意識進化のモデルなのだ。それは一言で言えば、ある一部の人間が特権的なパワーをもって、他のものを先導するというヒエラルヒー構造の終焉を意味している」。

「知性や理性だけでは、真の自由や平等が実現されないことは、これまでの歴史が示している。だとすれば、ひとりひとりの人間が知性とイマジネーション、光と闇、男性性と女性性、生と死の統合性を象徴するシャーマンの意識を実現してゆくことによって、個人の自立を達成してゆく以外に方法が無いのではないか。『人類のシャーマン化』という言葉で私が意図しようとしているのは、まさにそのことなのである。」➡ 菅靖彦

シャーマニズムの特徴
⇒ シャーマンは自発的に変性意識に入り、
⇒ 異界を旅して、知識や力を獲得する。
⇒ 獲得した知識や力を、共同体の人々を救済するために活用する。

撃たれた時のシーンのフラッシュバックが始まったんです。それで呪い(まじない)師に診てもらうように言われました。呪い師は私がいまだにベトナムから抱え続けているものがあり、私の記憶は今もそこにあるのだと、ナバホの居留地の外にあるのだと言いました。呪い師に歌ってもらいました。ナバホの道という歌を七日間も。シャキッとした感じになり、夏が終わったあと別の踊りの治療をしてもらいました。そして私の心は回復したのです」。
➡ アル(ベトナム帰還兵)夢の賢者ユングより





基本的分娩前後マトリックス

「変性意識の舞台、菅靖彦 著、1995年、青土社」より
BPM「Basic Perinatal Matrix(基本的分娩前後マトリックス)3」
アブラハム・マズローと並ぶ、トランスパーソナル心理学の創始者、スタニスラフ・グロフはLSDを用いた臨床治療の場で、出生時の産道体験が、死に対する病的な恐怖の源になっていることを発見した。

羊水の中で何不自由なく充足する胎児の立場から考えると、出生とは胎児的存在様式の死に他ならない。このことからグロフは、死に対する恐怖は未来ではなく過去にあると言うのである。

BPM1⇒ 子宮の羊水に穏やかに浸っている平和な状態
BPM2⇒ 子宮口が開く前に、子宮が収縮をはじめる段階
BPM3狭苦しい産道に押しやられて、出生に向かって奮闘する段階
BPM4⇒ 実際の出産の段階

LSDを摂取して変性意識状態になり、BPM3を追体験すると、超越(胎児的には出産)への希求が高まると同時に、抑圧されたエネルギーの劇的な消費を促すように、エロス的欲求や攻撃性が高まるとグロフは述べている。

「われわれは現在、エロスと暴力が蔓延しているのを目撃している。こうした現象は憂慮すべきものである。しかし、グロフの考察に従うなら、エロス欲求や暴力衝動の高まりは、超越欲求を示す一つの徴候と見なすことも可能なのである」。➡ 菅靖彦

「依存症になる人々が求めているのは、それ自体は普通のことなのです。つまり渇望は普通のことであり、求めているのは精神的高揚や特別であるという感覚、ヒロイズム、痛みの中断であり、その底に実際にあるものは、突き詰めれば『何らかの意味を強く求める心』なのです」。
➡ Dr.Jeffrey Satinover(夢の賢者ユングより)

通過儀礼の喪失
伝統的な社会では、通過儀礼という儀式があり、儀式を通過することにより、自動的に社会の構成員になることが出来た。しかし、人類は未来に対する新しいヴィジョンを失い、通過儀礼も機能していない。トランスパーソナル心理学では、現在のような儀式を失った社会では、個人のレベルで起こる、心理的な非常事態(離婚、病気、事故、事件、挫折体験)などが引き金となり、自己を解体するプロセス(心理的な死)を通し、個性化への道へ進むと考えている

そして、現在の過剰なネット環境では、膨大な情報の洪水がサイケデリック物質の役割を果たし、超越への欲求が高まるとともに、自己解体と個性化に向かうはずのエネルギーが行き場を失い、人々をエロスや暴力へと向かわせている

永遠の少年
ロマンス嗜癖 は人々や、更には社会を未熟な状態のままにします。アメリカ文化は、しばしば他国から思春期とたとえられてきました。ロマンス嗜癖が、この比喩に貢献しています。ロマンス嗜癖者にとっては、ナイーブで純粋なことが重要かつ不可欠なのです」。➡ アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する人間関係」誠信書房より

伝統的社会のシャーマンのような魂の導き手はなく、心理的に何の予備知識も、訓練もなく過ごしてきた個人は、突然やって来る「心の非常事態」に対処できない。そのため、自己解体のプロセスにも進むことが出来ず、何度でも同じパターンを繰り返すことになる。

 「ユングはそのようなパーソナリティを『永遠の少年』と呼んだ。『永遠の少年』の特徴は熱しやすく、醒めやすいということである。周囲に何か面白いことがあると、すぐにそれに飛びつき、またすぐに飽きてしまうのである。したがって、なにか一つのことをじっくり時間をかけてやるということがない」。

「私が反復的なパターンから抜け出すきっかけになったのは、不眠症の体験だった。眠れなくなるという体験が、それまで自分がしがみついていた性格を手放さざるを得ない状況に自分を追い込んでいったのだ。自然発生的な通過儀礼、すなわち自己解体のプロセスがはじまったのである」。
➡ 菅靖彦

インディアンの大予言

この本のページを通して、あなたに語りかけている私は、アメリカンインディアンである。あなたと同じ水を飲み、同じ空気を吸っている、あなたの兄弟だ。私たちは皆多くの同じものを共有している。地球が今直面している状況からは、誰も逃れられない。「いや、自分は大丈夫さ」とは誰にも言えないのだ。地球の状況を知らなければならない。そのために私は人々に語りかけているのだ。注意を傾けてほしい。私たちみんなが、地球に起こっているさまざまな変化の理由に気づき理解しなければならないのだ。
➡ サン・ベア&ワブン・ウィンド、加納眞士/三村寛子訳「インディアンの大予言」扶桑社より

現実に起きていることの「意味」を理解するためには、世界を動かしてきた二つの異なるイデオロギーを理解する必要があると彼らは言う。一つはアメリカ先住民に代表されるような、自然と融合し、その一部になるような生き方で、もう一つが、自然を征服しコントロールしようとする考え方である

 ヨーロッパからやってきた人々をインディアンたちは「梯子的」な考えを持つ人々と呼ぶ。梯子的概念では、一番上に神がいて、次に男、次に女、そして、彼らの子ども、その下に犬や猫、その下に残りの生き物が人間にどのくらい役に立つかの順で位置している。梯子的概念を持つ人々は、自分たちより下にいるものに対しては何をしても構わない絶対的な権利を持っていると考えている。彼らは他者に対し共感を持たず、自然を敬うことができない


これに対しインディアンの哲学では、生命を一つの輪と考える。全てのものは輪の一部であり、創造物の全ては私たちと同じ生きる権利を持っている。動物も、植物も、鉱物も、元素の世界に至るまで、地球上のすべてが同じ創造物の輪の中に包括されている。上もなければ下もない。彼らは全てを「丸みを持つもの」「輪」という象徴としてとらえている。地球、太陽、月、人間や木や岩でさえ丸みを持っている。彼らが作る住居(ティーピー)が丸く作られるのも創造物が全て一つのものであることへの敬意の表れである。

あなたがたの目的は我々にとって謎だ。バッファローが全部殺されたらどういうことになるのか?野生の馬をみな飼いならしたら?深い森の奥までが人間の匂いで一杯になり、豊かな丘の景色がたくさんの電線で損なわれたら、どうなると思うのか。それは生命の終わりと生き残りの始まりだ」

我々と同様、あなたがたも大地の一部である。大地は私たちにとってもあなたがたにとっても神聖なものだ。私たちは唯一つのことを知っている。神はひとりしかいない。どんな人間も、レッドマンであろうとホワイトマンであろうと、お互いを切り離すことはできない。私たちは確かに、みな兄弟だからだ」。⇒ チーフ・シアトル

衰退のとき極まると?

衰退のとき極まると、ターニング・ポイントに至る。姿を隠していた力強い光が、たち復る。動きはあれど、力のもたらすものではない・・・・・動きはあくまで自然、おのずから湧いてくる。これがために、古きものの変容にさまたげなし。古きものは去り、新しきものが入る。どちらも時とともにあり、それゆえいかなる滞りもきたさない。
⇒ R・ウィルヘルム著「易経」より

■終わりから始まる未来
「さまざまな社会で起こってきた文化的変化の時期を調べてみると、こうした変化に先立って、それを暗示させるようなさまざまな社会現象が起きていることがわかる。そうしたものには自己疎外感もあるし、精神病暴力犯罪の増加もあるし、また宗教熱の高まりもある。
➡ フリッチョフ・カプラ著、ポストバブルの指針「新ターニング・ポイント」(工作舎)より

幸いなことに、個々の嗜癖者の場合と同じように、嗜癖システムも回復することが出来ます。しかしそれに取り組む前に、まずこの病気に名前を与え、受け入れなければなりません。それは、リビング・プロセス(生存過程)システムと名付けた新しいシステムへ移行していくまでの、長い長い道のりなのです。嗜癖者が回復に向かうようになるためには「底つき」の体験が必要です。私たちの社会もその時期にさしかかっていると思います。だから今、私はこの本を書くのです。
アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会、誠信書房」より


フィッツジェラルドが『絶望せずに』と書いていることに注目しよう。真の絶望というのは、その状況に創造的な解決をもたらすことのできるような、建設的な感情である。これこそジャズ・エイジが感じる事の出来なかったものである。
➡  ロロ・メイ著: 自分さがしの神話(1994年、読売新聞社)第八章、ギャツビーとアメリカンドリームより